帰国子女、実は大変② 日本の小学校~中学

小学校~中学までで大変だったことを書いていきます。
文章をまとめるのが上手くないので、つらつら書きますm(__)m

小学1年生の時に横浜の公立小学校に転入し、3年生になるタイミングで市内で引っ越しをして違う小学校へ転校しました。

学校生活の中でちょっと嫌だなと思った点、こうだったらな。。と思った点。

  1. 帰国子女?すごい、英語できる!?ーとそれと知った人に必ず聞かれた
  2. 面白半分で英語の発音をさせられたこと
  3. 男子になにかからかわれる場面では「ガイジン」と言われた
  4. 親もアメリカナイズされ?、「学校の規則が厳し過ぎる」と、たまに私がヒヤッとすることもしたりした。
  5. すっかり忘れてしまったのに、いつまでも英語ができると親に思われたこと

帰国子女だからなのか、転校生+帰国子女だからなのか、ちょっと違うことをするとすぐに「ガイジン」とからかわれたりしてました

例えば、列になっている時に男子が冗談でワン!ツー!と英語で来た時に私の番でsix!と言ったら、発音のせいで大人の某単語に聞こえたらしく(後から思えば。その単語を知っていた男子にびっくりですが)、オマエ今●●って言った?と詰め寄られたのですが訳が分からず、慌てて「違うよ!」と日本語っぽい発音で言い直したこともありました。

床に座るときも、アメリカの幼稚園では普通に皆がしていたindian styleと呼ばれる座り方(お父さん座り)で何気なしに座っていると「男みたい」と言われたり。

やることが時々目立ったようで、ここでも男子に絡まれることが多かったような気がします(苦笑)私の性格が控え目なためか大きな衝突は無かったですが、こういう時、勝気な性格な子だといちいち大変だろうなと思います。

中学になってからも、もう5年以上も前になる帰国のことが持ち出されました。
英語の授業が始まったからです。

英語の授業で自己紹介とかしたときにアメリカ生まれだと言ったら、先生に若干対抗心を持たれたような感じでした。
6年住んでいたと言ったら「先生は9年だったよ」とかマウントとってこようとしてました(笑)ちょっと面倒でしたね。。

でも、英語をもう忘れていたので、実質中学校で習うのが初めてに近い感覚でした。文法も初めてだし、しっかりと単語のスペルを習うのも初めて。
(英会話学校へは行っていたものの、ふんわりとした内容だったので、役に立たなかった)

でも、親は英語が昔できたのだから学校の英語もできて当然と思っていたようで、テストの点数によっては怖い顔をされしまいましたが、内心は「仕方ないじゃん!」とこちらもイライラしましたが、ぶつけどころがなかったです。

ところで、10年近くアメリカ生活をしてきたせいか?少々個性的になり、且つ、母も日本の学校の制度が窮屈に感じるところもあったようで、学校生活で時々私がヒヤッとさせられることもありました。

小学校の時…
●体育の授業があるのに体操着がまだ乾いてなくて、着ていくものが無かったときは「白いいポロシャツ着れば大丈夫よ!」とそれを渡され、えぇー(汗)と、先生に説明することになった。
●学校指定が紺色の水着なのに、これまた買う時間が無かったとかでたまたま家にあった黒と灰色の縞柄の水着を「先生に言えば大丈夫よー」と持たされたり。
まぁ、体操着も水着も(また)先生からは特に何も言われず大丈夫だったので良かったですが。水着は、縞柄だったせいで(また)男子からは「シマダイ」と呼ばれましたよ(笑)

中学の時も…
校則ではスカート丈は膝下くらいだったのですが、母が「そんなの、ダサい」と膝ギリギリにしてしまい、先輩らに目を付けられないか常にヒヤヒヤしてました。
また、靴も白指定だったのですが、それではつまらんと白地に蛍光ピンクのラインが入ったものを買ってきてしまい、これも内心ビクビクしながら履いてたのでした。
こちらも幸い、たまたまクラブ活動で仲良くなった先輩が実が怖い女番長だったらしく、スカートも靴もお咎めなしで平和に過ごせてラッキーでしたが。

英語に戻りますが、英語は中学校の時点ではコンプレックスに少しなっていた気がします
もうだいぶ前とはいえ帰国子女なのだから「出来なければならない、出来て当然、、でもできていない…」と思い込んでいました。
だから、中学の頃は英語自体は好きではありませんでした

ところが、またここから英語どっぷりの世界へ行くことになったのでした。
中学3年生の1学期に父の二度目の海外転勤でイギリスへ。。。

ここからは19歳までイギリス・オランダとヨーロッパに住むことになりました。
またこのあと続きます。

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