帰国子女、実は大変 ①幼児期~1年生頃

帰国子女。
今では学校の各クラスに数人いるような時代ですが、私(40代前半)が卒業した横浜市の公立小学校でも学年(約160人)に2,3人いるかどうかの少人数でした。
「帰国子女」と聞くと色々なステレオタイプなイメージ(自我が強い、英語がペラペラなど)が頭に浮かぶかと思いますが、実態がなかなか理解されていないと今まで感じてきたので、ここで書こうと思います。
英語の習得面の他、苦労したところ、メンタル面も書いていきます。

長くなるので、まずはうんと遡って幼少期~1度目の帰国あたりまでで区切ります。

英語圏外含めて渡航と帰国を何度か経験した者の目線です。また、勉強が全般的にすごく得意でも苦手でもなく、普通に自主的に努力するタイプです。
そういう、ごく一般的な人の話として読んで頂ければ幸いです。

アメリカにて 0~6歳

アメリカで生まれ、6歳まで住みました。
両親は日本人(関西)で、家の中での会話は全て日本語でした。
英語に関わる記憶があるのは3,4歳頃、幼稚園にいたときのものです。

「幼少期に英語圏に数年住めば、子供は自然に英語を覚える」と聞きますが、そんなことはありません。
幼児なりに頭を使って日本語から英語に変換していたのです
例え英語圏で生まれ育っても、家庭内での会話が日本語だったので、
もちろん、幼稚園の遊びの中で英語を覚えていくのは早かったと思いますが、たまに該当する英単語が分からず悔しい思いをすることもありました。

例えば、「箱にに入っているものは何?」という、手の感触だけで箱の中の物を当てるクイズ。自分が触っていたものは分かるのにその英語が分からず、やむなく”I don’t know”と言うしかなかったこと。先生には「本当に?本当に分からない?」と何度も念押しされたのに。しかも「分かりません」の言い方も”I don’t know”しか知らなかった。
また、サマースクールで、泳ぎ疲れて「腕が痛い」と言いたかったのにarmが出て来ず、でもとりあえず痛いことを訴えたかったのでlegと言っておいてしまい、自分でも「言いたいことが違う」とモヤモヤしたこともありました。

こんなことも。
幼稚園で礼拝があったのですが、聖書の内容が理解できなくてその時間では一度も手を挙げて発言したことがなく、遂には廊下に出されて「なぜ分からないの?」と叱られたことがありました。
正直、内容どころか英語も難しくてさっぱり分かりませんでした。
今思えば、家でも聖書読まないんだから「分かるわけないでしょ!」と思うのですが、特別扱い無しだったようです。それを訴える力もありませんでした。
この時間はとても辛く苦手でした。

幼稚園では定期的に園庭で星条旗を揚げて胸に手を当てて国家斉唱をしましたが、その時に「忠誠の誓い」を日ごとに順番に言うのですが、それも私は覚えておらず、怖くて自分の順番が来ないことを祈りながらやってました。。

おそらくこの頃は、自分は日本人だけど「私は日本人だから」と訴えるほど強いアイデンティティがまだ確立されていなかったのかなと思います。
ハロウィーンでは浴衣を着させられたり、日本人の友達と遊んだりして日本人だという自覚はあったのですが、幼稚園だとそれを意識せずにいた(済んでいた)ことが大きかったと思います。
幸いなことに、幼稚園でも一人だけの日本人(どころか東洋人)だったのにいじめもなく過ごせたことは幸せだったと思います。

6歳。

英語も心配なくなりましたが、今度は日本語の勉強も始まる年齢になりました。通信教育で国語を習い、現地の日本人(土曜日)学校にも通い始めました。
ここで、日本人の先生に日本の教科書で国語を習い、日本人としての認識を強く持つようになったかなと思います。
日本人学校では友達とも日本語で話してました。
やはり、日本語が一番話すのが楽だったと思います
因みに、勉強以外では日本むかしばなしのカセットテープを聞いたり、幼児用の雑誌(「めばえ」「幼稚園」など)を読んでいたので日本語は最初から苦労もなかったです。

本帰国 小学校1年生

英語ができるようになってからは幼稚園では勉強がよく出来たので、次の学年は2年生への飛び級を勧められていました。
が、父への辞令により帰国することになり、それは夢となりました。。

帰国して通ったのは横浜市の片隅の公立小学校。
帰国子女を受け入れるのが初めてだったらしい(?!)と後から母に聞きました。

転校早々は、慣れるのにそれは大変だったと思います。
ただ、時間割というものが最初理解できなかったくらいで、あとは母親はじめ、その時々に周りに教えてもらっていたんだろうなと思います。
そのあたり、慌ただし過ぎたのか、記憶がありません。
学校生活に馴染むのは早かったかなと思います、英語を捨ててからは。。

実は、転校してすぐにクラスの男子からいじめに遭ったのです。
理由は「へんな日本語だから」。
まだ帰国子女自体が少なかったため理解されず、クラスのその子らも「異分子」あつかいしてきたのでしょう。
家では日本語を使っていたのですが、両親が関西人で転入したのが関東の学校だったので訛りをからかわれ、また外国から来たから「ガイジン」と言われました。学校生活も最初は分からないことだらけだったのでそれも目について目立ったのだと思います。
私は性格的にも気が強くはないので、やられてやり返すこともできませんでした。

その頃の作文が残っていたのをあるとき見つけて読んだら「英語を使わなくなったらいじめられなくなりました。」と書いてあったり、母に聞いたところでは「もう英語使わない!」と宣言して一切英語に触れなくなったようでした。

せっかく英語が身についていたのに、ここで一旦完全にリセットされてしまいました。自分でも、英語できなくなったなぁ…と自覚もありました。
母には英語の習い事にも連れて行かされましたが、段々それも面倒で嫌にやってきました。

とても残念ですが、与えられた環境でサバイブしていくためには仕方がなかったかなと思います。学校では「英語」という未知のものを話題にしなくなったことで?いじめも無くなり、学校生活も楽しくなっていったので。

しかし、せっかく学校生活にも慣れたのに3年生になる前にまた引っ越し、2校目の小学校に転校します。(②に続く…)

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